【無題】
【無題】
【無題】
しづかにきしれ四輪馬車、
ほのかに海はあかるみて、
麦は遠きにながれたり、
しづかにきしれ四輪馬車、
光る魚鳥の天景を、
また窓青き建築を、
しづかにきしれ四輪馬車。
「天景」 萩原朔太郎
【しづかにきしれ】
【かえりみち】
【雨の日】
【プラネタリウム】
季節の移り往くなか また僕は 大切な忘れものをして
おいてけぼりをくったような気分になった。
泥濘に足をとられたりしながら、残されたほんのわずかな
日々の断片のようなものを 描きつける。
そこに、ほんの少しの希望があると、僕は 信じている。
【かくれんぼ】
こどもは 路地がいちばん空がたかいとおもっています。
ほんとうに そうなんだろうし、それでいいんだとおもう。
僕はひとりで 夜がひろがる
【よるのつなわたり】
中野真典の作品には描くということの本来的な形がある。
当たり前に描く。綺麗だと思ったもの、感激したことや、その他
様々な理由で印象に残って描きとめたかったもの、そして夢に見た
もの。それらをその都度ただ描くこと。そこには、つまらないスタイルやコンセプトが入り込む余地はない。近作では子ども達がしばしば主要なモチーフとして登場し、一見するとノスタルジックな表現は現代の素朴派と評されるかも知れない。ところが、そう簡単には言い尽くせない破格なもの、修練された技法スタイルやテーマの統一性を求める人たちにとっては破綻と言われかねない要素が彼の作品群には分け入ってくる。これこそが彼の作品の魅力であり深さなのだ。
「作品は個性で描くのではないですよね。」と彼は言う。
同世代の作家達とはまるで対局にあるこの制作姿勢に接するにつけ、やはり、その筆には芸術を司る女神が宿り、彼に絵を描かせているに違いないと思えてくるのだ。
(SELF-SOアートギャラリー・村上稔)
【いま 私は廊下へ出ようと思います】
目を覚まし 洗面所に向かう。
予め 開かれた窓の向こう側には
気持ち良さ気に屋根瓦で寝そべっている
おとこの子が ひとり。
これは 僕の空想かもしれません。
また 何処かで "ヒト ヒトリ" 鳥が啼いている。
【屋根のうえで】
お元気ですか。
あなたは かくれんぼが大好きで
かくれるのが ほんとうに 上手でしたね。
僕は あなたが突然 フッと いなくなると
不安で ふあんで しょうがなかったよ。
【かくれんぼ】260×183mm
僕と内田さんのはじめての絵本「おもいで」
「おもいで」が思い出でなくなり、今 また僕の「おもいで」に
なりました。
そうやって、きっとこれからも「おもいで」はカタチをかえて
いくのでしょう。
今、僕がおもうこと
「おもいで」は死なない。
【おもいでのおもいで】170×198cm 油彩
“あな”のはなし・・・?
あちらこちらでみかけるあな。
くつ下にあいたあな、地面にあいてるあな、
はたまた鼻のあな・・・
そんなナニモノでもない“あな”が、
ぶらりと外へ出かけていきました。
あるようでなかった、あなが主人公のアナーキーな
「あなのはなし」はじまりはじまり。
紙芝居【あなのはなし】原画
【自転車にのって】107×187cm 油彩
“溺れなさい 堕ちなさい 堕ちなさい
次いで人々と一緒に飛騰しますから”
・・・ああ そんなにかなしく眼をそらしてはいけない。
【二十六夜】180×230cmキャンパス・アクリル
雨降りのに日には
私たちは
かならず金や銀の靴をはいて
そうっと歩いたもの。
マリー・ローランサン
【雨の降る日には】
くるりんパッ!で
僕のはじめての自作絵本
「りんごちゃん」がうまれました。
冬の京都でりんごちゃんがお待ちしています。
是非いらして下さい。
絵本【りんごちゃん】表紙
ラッパのおとで 幕ひらく
空き地でちょうが 乱舞する
路地で拾った あお色ビー玉
覗いたら ”いま” があった
帰りの神社で 七夕まつり
ピエロが風船 ふくらます
踊り子たちが 舞いおどる
ほんとうのうそ
うそのほんとう
風船のわれるおとが
きこえてくる
さあ かえろう
(「おはなしトンネル」によせて)
【おはなしトンネル】
なにも かくことは ない
しっていることは
なにもない
衝動 につきうごかされて
感情
ゆくえ知らず
私は ちろちろ ゆれる
ちいさな灯
を みて なにを
おもうのかしら
【無題】