中野真典の背景
聴き手・金梨花
ぼくの育ったところは周りが田畑の空が広いところです。
大人になってから引っ越しを繰り返してきましたが、 巡り巡って、いままた地元に帰って暮しています。
小さい頃はおばあちゃん子でした。
両親は自営業(中野インテリア)で忙しく働いていたので、保育園の送り迎えはいつもおばあちゃんでした。
道草を喰うのが好きでした。
ファミコンはもう出回っていた世代ですが、外で遊ぶ方が多かったです。
べったん、べーごま、けん玉、、、昔遊び、ぼく得意ですよ。
絵を描くのがこどもの頃から好きだったわけではありません。
強いて言えば、育った家では、なんでもかんでも自分の手で作ることが当たり前でした。
そんななか、何を思ったか、
大学受験を目の前にして、ふと、「美術をやろう」と芸大にすすむことを決めたのです。
-----------大学では映画三昧------------
受験のためにちょっとだけデッサンや、いわゆる「受験美術」を学びに学校へ通いましたが、
へー、というだけで特におもしろいこともありませんでした。
せっかく入った大学でも、ぼく、単位ぎりぎりで、絵もあまり描かないでいたんです。
それよりも、大学構内にある映像資料室でとにかくたくさんの映画を観ていたことの方が記憶に残っています。
-------------あこがれが原点------------
大学の先輩でとても惹かれる人に出会いました。
そのときからです、夢中で絵を描き始めたのは。
たまたま目の前にあったのが絵だったから、僕は筆をとったけれど、べつのものだったかもしれません。
何かへの強くつよく思う憧れからはじまりました。
個展を初めて開いたのも、そのころです。
衝動から描きはじめて20年近くが経ちます。
-------------これからですよ------------
もう覚悟はできています。これしかない、これでいこう、と思っています。
いま、もっと出せる気がしているんです。
壁を打ち破ってパターンでない自分を見せていきたい。
うらぎりますよ、時にはね。
これからですよ、見ていてください。
【子馬】112cm×146